坐骨神経痛と椎間板ヘルニア(川崎市宮前区)

2005年秋、ゴルフに興じていた私はプレーを進める内に、徐々に腰に鈍痛を覚えたのが、この苦しみの始まりでした。 それまで週1回ながらもスポーツジムに通い、数種類の筋トレと6Kmのジョギングを8年間も続けてきた私にとっては一過性のものと気にも止(原文ママ)めませんでした。

しかしその腰痛は日を追う毎に痛みが増し、通勤電車で立っている事が出来ずに停車する度に降りて、駅のベンチに腰を掛け、痛みが治まるのを待って次の電車に乗るという事を繰り返すようになりました。 異常さを感じた私は整形外科医院で診察を受けましたが、結果は椎間板ヘルニアと診断され、その日から牽引治療と筋肉を柔らかくする投薬治療が始まりました。

しかし痛みは益々激しくなり、家で洗顔するのもおぼつかず、わずか10m歩くと激痛で立っている事が出来ず、ガードレールや消火栓などに腰掛けて痛みが去るのを待ってまた歩くと言うような症状にまで進行して来ました。

牽引治療も続けていましたが、なんとかしなくては、との焦りから別の整形外科や整骨、整体などの治療を受けたものの、効果が出てくる様子が全くなく、逆に症状は更に悪くなって行きました。

2006年7月某日、なんとか出勤したものの、座って居られない激痛に襲われ、会社を早退しましたが、家に帰っても身の置き所がないような痛みは消えませんでした。

翌日もっと大きな病院で見て頂き、所定の診察を受け、痛み止めの注射を受けて帰ろうとしましたが、その時はもうタクシーを拾う場所まで独りで歩く自信がなくなり、そのまま入院してしまいました。

その病院には3週間入院し、朝夕定期的な投薬を続けましたが効果が薄く、最後の手段として神経根ブロック注射を2回施しました。

結果は痛い思いをした割には効果はほとんどないままで、退院となりました。そして医師の話しでは、これ以上の治療は手術しかないとのことでした。 

この間自分の心の中では、本当に自分は椎間板ヘルニアや脊柱間(原文ママ)狭窄症なんだろうか、という疑問が消えませんでした。レントゲンやMRIの説明を受けて、痛い箇所は別の所、と言っても納得のいく説明はありませんでした。

こうして退院し、入院以前よりは僅かに痛みは薄くなったものの、ひと息で歩ける距離が10mが20mになった程度で、とても回復したと言うようなものではありませんでした。 しかし手術には容易に踏み切れませんでした。

こんな時に妻が、先生のヒューストンカイロプラクティックセンターの話しを持ってきました。 今までもカイロプラクティックと看板を上げているところで治療を受けたこともあり、半信半疑で聞いていましたが、妻の真剣さに負け、また手術だけは絶対に避けたいという気持ちが強く、藁をも掴む思いで先生の処を訪問しました。

初診、そして2回目の診断で先生は、股関節が原因だと思うのでその治療をやっていきます、と話されました。 そしてその治療の中で今まで病院では解ってもらえなかった違和感のある部分が刺激されるのが、はっきりと感じ取れました。

先生の施術を受けるにつれて成果は歩ける距離にはっきりと出て来ました。 それまではいつも決まった所に来ると痛みのために小休止を余儀なくされたものが、徐々に痛みが出ず、その距離が伸びて来るのです。  通勤も目的地まで立ったまま通えるようになり、12月にはゴルフの練習やスポーツジムにも再び通える処まで回復しました。

今ではあの苦しみは何だったのだろう、と思える処まで回復し自由に身体を動かせる喜びに浸っておりますが、なによりも手術という手段を選ばずにすんだことに心から感謝しております。 未だ治療時には痛い思いをしておりますが、その痛さが回復のバロメーターと言い聞かせ、先生から治療終了の宣言を頂くまでお世話になるつもりです。 ありがとうございました。

                 川崎市宮前区  OO光一

 

ドクターナガタからのコメント

この方も椎間板ヘルニアと診断されて手術を提案されたようです。 3週間も入院した成果が、10歩余計に歩けるようになっただけとは・・・。でも手術を選択しなかったお陰で、身体を傷つけられずにすんだのは、不幸中の幸いでした。 私の所への来院前、心配顔をした奥さんが3度も足を運ばれて相談されたことが強く印象に残っています。  期待に応えられて嬉しいです。